小学校からの英語教育って必要なのだろうか? [語学は才能だ]
スポンサーリンク
春になると教科書や教育関連の情報が多くなりますね。
次年度2020年の春から英語の授業が必須科目になる5.6年生、、、 3.4年生は「外国語活動」という体験型学習を取り入れるというようなことが書かれている。
小学校から英語の学習は必要なのだろうか、、、
僕の意見は NOです。
確かに小さいころから外国語に慣れ親しむ必要があるのは外国に住まなければならない絶対環境があるのなら否定はしませんが。
日本は少なくとも義務教育で3年、、高校は義務教育ではないが3年、、、
今の高校進学率からみれば6年は英語を学ぶことになるわけだが、、
なぜ、そんなにも英語が必要なのだろうか?
世界で14億人以上の方たちが日常会話を話せるというデータがあった。
そのうちのネイティブスピーカー(母国語として話す人)約4億人、、、
国際語として考えていけば必要ではあるのだろう。
昔と違って実生活を取り巻く言語環境は明らかに違うことは理解できる。
コンピューター、サインボード、AI、食べ物の名前など他にもアルファベットを使ったものはたくさんある。
毎日のテレビを見る環境だとしてもいろいろな外国語が飛び交う。
国会での討論でよく出てくるコンセンサスだとかシンパシーだとか、メディアとか確かに日本語の間に英語を入れるといかにもという感じがするが。
文科省の外国語活動に対する小学校指導要領を読んでみると
今の子供たちの将来的に取り巻く環境を見ていくと著しくグローバル化が進むこの国の、、、、などと書いてある。
確かに先ほど書いたようなことが先を見越せば大事でかつ必要であろうと思うのは理解できる。
英語を学ぶということは、国際語であるということ以上に、個人的な資質を高める上でも意味があるということになります。
何も英語に限ったことではありませんが。
こういう話をしても生徒の英語に向かう関心度が激変するわけではないと思う。
教育というといかにも仰々しく聞こえてしまうのは僕だけだろうか?
生徒一人一人が「英語を身につけることの意義」を見出すことができたとき、それは学習に向けての大きな力になるのだとはおもうが何も英語に限ったわけではなくすべての教科においてもいえることでしょう。
興味の対象はすべての教科において共通だと思う。
必要だと思っている家庭、親が子供たちに興味を持たせればいいとは思うが、昨今の家庭はどうも家庭から子供を育てていくことに希薄なのではないかという気がしてならない。
学校をしつけの場所と考えているような気がしてならない。
個性消失の場所だといってもおかしくないくらいに画一的だ。
学校は団体生活におけるマナー育成くらいで十分なはずだと思う。
個性は家庭で育つと思っている。
それぞれの親の個性や生まれ育った環境、食べるものの知識やマナー、家庭内での経済環境、公共の中での家庭や個人の在り方など様々だ。
そんな個性を持った子たちが学校という一つのルールな中で肩を寄せ合うのだから様々な方法を一人一人の生徒たちに向かって教師が個人を見つめてあげなければ個性は伸びない。
受け身の教育なんて受けてもしょうがない気がする。
最近、自分も学校に通い始めてよくわかったことは勉強が嫌いという事だった。
昔から勉強は嫌いだったけど、、、(笑)
でもその中で興味を持ったことは障害を持った人、障害を持っていない人についてを書いていた項目だった。
英語も同じで興味を持つか持たないかでずいぶん勉強の仕方が変わってくる。
会話に重視するのか、それとも受験英語に重視するのか、、、
どちらでも構わないとは思うが、、
とにかく興味を持つまでは必要ではないし、必要だと本人が自覚すれば自分から机に向かっていく。
先ほどリンクに張った文科省のPDFによれば「グローバル化」という言葉がかいてあるが、小泉政権の時にこの国もグローバル化宣言をしたはずだと思う。
英語は勉強しても意味がないとずっと思ってきた時期がありましたが、あるきっかけで英語をもっと学ばなければという事がありました。
それは一人で取材に海外に行かなければならないという試練があったからでした。
人間はしょせん怠け者だからおしりに火がついて初めて熱さを感じる動物です。
英語という語学を考えることは悪いことではないと思います。
でもそれよりも自分のアイデンティティを言葉で語れる言葉を持ってほしいと思う。
これからもたくさんのほかの国からこの国にやってくるだろうし、また反対にこの国からほかの国に出かけていく人もたくさんいるでしょう。
自分の国を自国の言葉で語れる教育のほうがはるかに重要だと思う。
娯楽に関しても政治に関しても自分の感じる言葉で、、、
文科省が進めたいのは英語という教育なのであまり実践的ではない感じがする。
それよりもグローバルという本来の意味を深めるための小学生にわかる言葉で教えてあげれば英語なんてすぐに興味をもってくれると思う。
今の教科書はまるで絵本のようだし、勉学には向いていなような気がするのは昔の大人だからだろうか、それとも何も考えていない大人なのだろうか。
想像力を創造力に変えていくことも必要ならば考えて答えを出す教科書にならないものかと思う。
答えにたどり着くまでの過程が教育でありまた、それが楽しいのだから、、
僕の考えは子供に英語はいらないという答えだ。
語学は自国の言葉で自国を語る事
歴史や現代史を勉強すれば自ずから英語に限らずほかの外国語に関わるようになるからそれよりも
家庭で必要な事を家庭が教えてほしいと思っている。
学校に頼るな、、、
語学は才能が必要だ。
英会話に限ったたことではなく自分の国の会話にとっても才能は必要だと思う。
会話とは相手側が有る。
会話とはこちら側がある。
双方が行ったり来たりするのが会話であってどちらかが一方的なアクションだけでは会話が成り立たない。
インタラクティブ(inter active)という事が重要だ。
インターとアクティブがくっついて相互の行動、この場合は会話です。
一方的に話すというのは単なる独り言だろう。
インターを頭についたいろいろな言葉がありますよね。
上げればきりがないくらいにたくさんあります。
相互間とかの意味を持っているのは知っていると思います。
日本はなぜ世界の変化に遅れてしまったのだろう?
世界に飛び出し羽ばたいて仕事をする必要がないからだと思う。
日本国内の中で仕事をし一生を終わる事でも生きていけるという事が問題なのではないだろうか。
島というこの国の環境はもうすでにとっくの昔に終わっているはずっだったと思うが、いかがだろうか?
いま、日本に来ている外国人観光客も含めれば昨年の統計で3119万人そのうちの6割がアジア地域からきている。
これは観光客の数字なので在留外国人が約230万人その他留学生も含めたらもっとたくさんの外国からの方が増え続けている。
今年から来年にかけてもっと増えるのは目に見えている。
今年はラグビーのワールドカップ
来年はオリンピック、、、
だからこそ英語教育が必要なんでしょ!
それは違うと思うんです。
英語教育に賛成して喜んでるのは幼児を対象にした英会話スクール。
ビジネスですからね。
子供や幼児に必要なのはこの国をちゃんと日本語で語れる教育、勉強だと思っています。
だって、挨拶ができない子供、いや子供に申し訳ないかな、むしろ大人がその傾向が強いわけだから
その子供は挨拶や会話をしない。
反面教師という言葉もありますが、、、、、、
しなくても世間は渡っていける。
だから会話しなくてもよい。
黙っていても怒られない。
本当に悪いスパイラルだと思う。
「知らない小父さんとは話してはいけない」という教えらしいのだが、、
まとめてみました。
春になると教科書や教育関連の情報が多くなりますね。
次年度2020年の春から英語の授業が必須科目になる5.6年生、、、 3.4年生は「外国語活動」という体験型学習を取り入れるというようなことが書かれている。
小学校から英語の学習は必要なのだろうか、、、
僕の意見は NOです。
確かに小さいころから外国語に慣れ親しむ必要があるのは外国に住まなければならない絶対環境があるのなら否定はしませんが。
日本は少なくとも義務教育で3年、、高校は義務教育ではないが3年、、、
今の高校進学率からみれば6年は英語を学ぶことになるわけだが、、
なぜ、そんなにも英語が必要なのだろうか?
世界で14億人以上の方たちが日常会話を話せるというデータがあった。
そのうちのネイティブスピーカー(母国語として話す人)約4億人、、、
国際語として考えていけば必要ではあるのだろう。
昔と違って実生活を取り巻く言語環境は明らかに違うことは理解できる。
コンピューター、サインボード、AI、食べ物の名前など他にもアルファベットを使ったものはたくさんある。
毎日のテレビを見る環境だとしてもいろいろな外国語が飛び交う。
国会での討論でよく出てくるコンセンサスだとかシンパシーだとか、メディアとか確かに日本語の間に英語を入れるといかにもという感じがするが。
文科省の外国語活動に対する小学校指導要領を読んでみると
今の子供たちの将来的に取り巻く環境を見ていくと著しくグローバル化が進むこの国の、、、、などと書いてある。
確かに先ほど書いたようなことが先を見越せば大事でかつ必要であろうと思うのは理解できる。
英語を学ぶということは、国際語であるということ以上に、個人的な資質を高める上でも意味があるということになります。
何も英語に限ったことではありませんが。
こういう話をしても生徒の英語に向かう関心度が激変するわけではないと思う。
教育というといかにも仰々しく聞こえてしまうのは僕だけだろうか?
生徒一人一人が「英語を身につけることの意義」を見出すことができたとき、それは学習に向けての大きな力になるのだとはおもうが何も英語に限ったわけではなくすべての教科においてもいえることでしょう。
興味の対象はすべての教科において共通だと思う。
必要だと思っている家庭、親が子供たちに興味を持たせればいいとは思うが、昨今の家庭はどうも家庭から子供を育てていくことに希薄なのではないかという気がしてならない。
学校をしつけの場所と考えているような気がしてならない。
個性消失の場所だといってもおかしくないくらいに画一的だ。
学校は団体生活におけるマナー育成くらいで十分なはずだと思う。
個性は家庭で育つと思っている。
それぞれの親の個性や生まれ育った環境、食べるものの知識やマナー、家庭内での経済環境、公共の中での家庭や個人の在り方など様々だ。
そんな個性を持った子たちが学校という一つのルールな中で肩を寄せ合うのだから様々な方法を一人一人の生徒たちに向かって教師が個人を見つめてあげなければ個性は伸びない。
受け身の教育なんて受けてもしょうがない気がする。
最近、自分も学校に通い始めてよくわかったことは勉強が嫌いという事だった。
昔から勉強は嫌いだったけど、、、(笑)
でもその中で興味を持ったことは障害を持った人、障害を持っていない人についてを書いていた項目だった。
英語も同じで興味を持つか持たないかでずいぶん勉強の仕方が変わってくる。
会話に重視するのか、それとも受験英語に重視するのか、、、
どちらでも構わないとは思うが、、
とにかく興味を持つまでは必要ではないし、必要だと本人が自覚すれば自分から机に向かっていく。
先ほどリンクに張った文科省のPDFによれば「グローバル化」という言葉がかいてあるが、小泉政権の時にこの国もグローバル化宣言をしたはずだと思う。
グローバルという言葉は地球的なとか世界的なとかという意味だけれど球という語源なので丸い地球はどこまで行ってもt地面が続く感じでしょうか。 電球の球はグローブですから。
英語は勉強しても意味がないとずっと思ってきた時期がありましたが、あるきっかけで英語をもっと学ばなければという事がありました。
それは一人で取材に海外に行かなければならないという試練があったからでした。
人間はしょせん怠け者だからおしりに火がついて初めて熱さを感じる動物です。
英語という語学を考えることは悪いことではないと思います。
でもそれよりも自分のアイデンティティを言葉で語れる言葉を持ってほしいと思う。
これからもたくさんのほかの国からこの国にやってくるだろうし、また反対にこの国からほかの国に出かけていく人もたくさんいるでしょう。
自分の国を自国の言葉で語れる教育のほうがはるかに重要だと思う。
娯楽に関しても政治に関しても自分の感じる言葉で、、、
文科省が進めたいのは英語という教育なのであまり実践的ではない感じがする。
それよりもグローバルという本来の意味を深めるための小学生にわかる言葉で教えてあげれば英語なんてすぐに興味をもってくれると思う。
今の教科書はまるで絵本のようだし、勉学には向いていなような気がするのは昔の大人だからだろうか、それとも何も考えていない大人なのだろうか。
想像力を創造力に変えていくことも必要ならば考えて答えを出す教科書にならないものかと思う。
答えにたどり着くまでの過程が教育でありまた、それが楽しいのだから、、
僕の考えは子供に英語はいらないという答えだ。
語学は自国の言葉で自国を語る事
歴史や現代史を勉強すれば自ずから英語に限らずほかの外国語に関わるようになるからそれよりも
家庭で必要な事を家庭が教えてほしいと思っている。
学校に頼るな、、、
語学は才能が必要だ。
英会話に限ったたことではなく自分の国の会話にとっても才能は必要だと思う。
会話とは相手側が有る。
会話とはこちら側がある。
双方が行ったり来たりするのが会話であってどちらかが一方的なアクションだけでは会話が成り立たない。
インタラクティブ(inter active)という事が重要だ。
インターとアクティブがくっついて相互の行動、この場合は会話です。
一方的に話すというのは単なる独り言だろう。
インターを頭についたいろいろな言葉がありますよね。
インターナショナル インターネット インターハイ インターフォン
上げればきりがないくらいにたくさんあります。
相互間とかの意味を持っているのは知っていると思います。
日本はなぜ世界の変化に遅れてしまったのだろう?
世界に飛び出し羽ばたいて仕事をする必要がないからだと思う。
日本国内の中で仕事をし一生を終わる事でも生きていけるという事が問題なのではないだろうか。
島というこの国の環境はもうすでにとっくの昔に終わっているはずっだったと思うが、いかがだろうか?
いま、日本に来ている外国人観光客も含めれば昨年の統計で3119万人そのうちの6割がアジア地域からきている。
これは観光客の数字なので在留外国人が約230万人その他留学生も含めたらもっとたくさんの外国からの方が増え続けている。
今年から来年にかけてもっと増えるのは目に見えている。
今年はラグビーのワールドカップ
来年はオリンピック、、、
だからこそ英語教育が必要なんでしょ!
それは違うと思うんです。
英語教育に賛成して喜んでるのは幼児を対象にした英会話スクール。
ビジネスですからね。
子供や幼児に必要なのはこの国をちゃんと日本語で語れる教育、勉強だと思っています。
だって、挨拶ができない子供、いや子供に申し訳ないかな、むしろ大人がその傾向が強いわけだから
その子供は挨拶や会話をしない。
反面教師という言葉もありますが、、、、、、
しなくても世間は渡っていける。
だから会話しなくてもよい。
黙っていても怒られない。
本当に悪いスパイラルだと思う。
「知らない小父さんとは話してはいけない」という教えらしいのだが、、
まとめてみました。
子供に英語教育はいらない。 それよりも必要なのは語学の重要性を伝えるべきだ。 自国の日本語をしっかり覚え、自分の国のことを話せるように教えることだ。 英語教育は家庭でもできる。 子供たちの授業科目を増やして負担かけさせないほうが賢明だ。 アイデンティティを尊重し受け身の授業をやめる。 会話、対話をもっと多い授業内容にすれば話すことが好きになるだろう。 そのためには家庭内での会話をもっと増やしたら子供たちの社交性も底が上がってくるのでなないだろうか、、、 子供は 学校で学び 家庭で育てる、、、 これに尽きるのではないかと思う、、、
絵本から広がる遊びの世界 読みあう絵本 (これからの保育シリーズ)
- 作者: 読みあう活動研究会
- 出版社/メーカー: 風鳴舎
- 発売日: 2017/05/23
- メディア: 単行本
コメント 0